いつかはエイジシューターに

ソロゴルフを愛するヘタレゴルファーのブログです

雨の中のゴルフ

雨のゴルフって、ほとんどのゴルファーが嫌いだろう。

ゴルフの日の三日前まえぐらいから、当時の天気が気になってくる。そして、晴れマークがついていると、それだけでうれしくなる。

 

それが、二日前に曇、一日前に小雨、当日土砂降り。そんなことになると、気持ちがどんどん暗くなる。

それが、まさに一昨日の出来事。

 

三日前まで、楽天ゴルフの天気予報では、うれしそうにスイングしているキャラだったのに、当日起きてみると、泣いている。

 

なんてこと。晴れを信じていて、買う予定だったレインコートも先延ばししたというのに。

しかし、多くの希望的観測のゴルファーの一人として、現地に行ってみれば意外に・・・と願いを込めて行ってみると、やはり土砂降り。

 

窓の外を眺める、他の多くのゴルルファーも、きっと同じ気持ちだったのだろう。

「なぜだ、どうして、天気予報に裏切られた」と。

 

しかし、来てしまったらしょうがない。ゴルフとは本来、ゴルフ場がクローズと宣言しない限り、プレイ可能。本場のイギリスも、一日の中で一回は雨が降るという。

そう、納得させて、いざプレイ開始。

 

すると、雨の効用なのか。濡れるので素振りもろくにせずに打ったらナイスショット。

2ホール目も同じく。

ただし、グリップがすべって、二回OBが出たにも関わらず、前半52。

なんで適当に打つとスコアが良くなるねん。とひとり突っ込みながら昼休憩。

 

すると、みるみる雲が晴れ、絶好の天気に回復。

それは、今朝見た通りの天気予報通り。

そして、さあやるぞと、想ったら、後半54。

どうしてこうんなんねん。と再び突っ込む。

 

雨は雨なりにいいことがあり、晴れ間は晴れ間なりにダメなことが起こる。

それが、ゴルフだと思い知ったのでした。

あと、雨の日のゴルフは、とても空いていること。

そして、カートに乗っていると、雨の光景もなかなかいいもんだと。

 

せっかく来たのだから、雨の日も、ゴルフを楽しもうと思えば楽しめるとわかったのでした(半分自己洗脳)。

 

“ 雨の日に ゴルフの良さを 再確認 ”

 

エンジョイゴルフが競技指向か

ゴルフを真剣にやっていると、ついいつかは競技に出てみたいと思ってしまう。

それが、いいスコアが出た日なら尚更。

 

ただし、その目安はやはり90を切るぐらいかな。

といって、毎度コースに出るも、スコアは90どころか100も切れない。

 

昨日も、いつものホームコースへ。

OUT56、IN54の感ぜんんあるダボペースゴルフ。とても、競技どころか月例も出れない(出られるけれど、迷惑をかけそうなので)。

 

うーむ。やはりエンジョイゴルフか。マーク金井さんの動画を最近よく見るが、素人ゴルフっていい表現だなと思う。

 

しょせんは、素人とプロとは違う。素人なりのゴルフを楽しむ。わかっているけれど、どこか、上手くなって競技に出て、何とか選手権で優勝とか思ってしまう。

特に、天才的なショットが連発した後は・・・。

 

このエンジョイゴルフか、競技志向ゴルフか。こうやって揺れ動くのアマチュアの人は多いのだろうか。それとも自分だけの勘違いなのか。

 

エンジョイゴルフと割り切ると、急にテンションが落ちて、2mのパットが残っても、「OKパーってと言ってよ」とつい叫んでしまうような、ぐだぐだゴルフになってしまう。

ついでに、お酒もぐいっと。

 

うーむ、難しい。毎回、競技志向でゴルフ場に向かうけれど、最後はエンジョイゴルフとして終わってしまう。

何だか、可笑しいやら哀しいやら。

 

ふとここまで書いてきて、これってゴルフに限らずどれでも一緒かと思い始めた。

野球だって、サッカーだって、ビリヤードだって、将棋だろうと、囲碁だろうと。

何か熱心にやっている人が、いつかはぶつかるというか、考えさせられる分水嶺なのかもしれない。

 

そしたら、に楽になった。そう、好きなことをやる限り、やはりてっぺんを求めてやるべきで、たとえ上手くいかなくても、それにもめげずに精進するのがプロで、エンジョイに切り替えるような思考の持ち主こそが、素人、趣味の人なのだ。

 

かといって、年をとってくると、プロ志向というのは持てなくなる、薄くなる。というわけで、結局はエンジョイと、競技志向かの狭間に揺れ動くことになる。

まあ、それが普通の人の普通の思考なのかもしれない。と、110と刻まれたスコアカードを見つめながら思うのでした。

 

“ 素人と プロを分けるは 心なり ”

 



 

 

リズムが欠けている

もう少しリズミカルに打ったら?

 

と、ゴルフを始めてからずっと言われていた。しかし、そのリズミカルの意味がわからない。

つまり、ダンスを上手く踊れない人に、いくら「リズミカル」にと言ってもわからないように。

 

とにかく「スイング自体が固い、まるで錆びた機械」のようだとさえ言われることもある。

 

その意見を受けて、家にあったメトロノームに合わせて素振りもしたこともある。

だけど、そんな先天的なもの、後付けで直るわけもなし。

だから、ずっと諦めていた。自分にはリズム感がないと。

 

しかし、この前ふと、野球中継のCMの間にフライフィッシングの番組を見ていたら、

実に竿?を、リズミカルというか、まるで鞭のようにしなやかに振っていた。それも、気持ちよく、軽やかに。

 

「そうだ、これだ」と、思った。

これまで、スイングするとき、頭で考えすぎていた。始動はこうだ、トップの位置はこうだ。首の付け根を中心に、体重移動は忘れずに等々。

 

つまり、自由、闊達さがなかった。もっと、自由にクラブを操ればいいんだと理解した。

 

そして、実際に打ってみたら、急に飛距離が伸びた(その代わり、とんでもないショットも出たけれど)。

 

そうこれまで、大剣を振り回すような感じだったのが、そう、レイピアのように扱うのが正解だったのだ。

 

リズミカルというのは、頭で考えすぎないこと。身体に動きを任せることだと、この年になって気づいたのでした。

 

ゴルフのスイングって奥が深い。

 

“ 自由とは 知識をそっと 捨てること”

 

 

クラブ使い込み派に負ける

小雨の中のラウンド。

いつものホームグランドで回る。

結果として、106。クラブを丸ごと変えたり、エースパターの選択に悩んだ結果など、まるで関係なくほとんど腕に進化なし。

 

パターの打ち方に光明が見えたのと、ウッドが当たり出したので良しとするしかないが・・・。

そしてこの日、一緒に回ったのは、はるか昔に同時期にゴルフを始めた友人二人。

 

一人は、近所のゴルフファイブで、店員の勧めるがままにフルセットを買った者。

もう一人は奥さんの大のゴルフ好きの義父から、「おっ、ゴルフ始めるのかね」と喜ばれ、そのまま持っていた中古のフルセットを譲られ、その後も義父がクラブを買い換えるごとに、譲られたクラブを使い続ける者。

 

前者は、ついこの前練習場でボールを打ったときに、「パキーン」という信じられない破裂音がして、ドライバーのヘッドが大破した(そんなことがあるんだ)。

その練習の帰り道に、たまたま目に入ったこれまたゴルフファイブで、店員から勧められたキャロウェイの新型ドライバーのPARADYMに買い換えたのみで、その当初の安物ゴルフセットを使い続けている。

 

後者も、十年前に義父がゴルフを引退したとき、義父当人が「完成形」というセットを譲り受けて、ずっと使い続けている。

 

二人に共通するのは、ゴルフの道具にお金をまったくかけないこと。いくらグリップがすり減っても変えることなく使っている。それに、ボールにはこだわりがなく、毎度ゴルフ場で売っている一袋いくらのロストボールを使っている。まったく手入れもしていない。

 

そして、そんな二人には負けるわけがないと、最新モデルで武装した私。

結果として、二人は100を切り、うれしそうに余裕のホールアウト。

スタート前に「ゴルフは最新道具だよ」とのたまい、鼻高々と最新のゴルフクラブ自慢をした私は面目丸つぶれ。

 

いったい、この数十年、クラブに使った大金は何のためだったのか・・・。無駄だったのか。思わず自分の人生を見るようで、がっかり、がっかりしすぎて、「やっぱ、道具ってつかいつこなした方がいいね」と引きつった顔で完敗を二人を讃えるしかなかった。

 

たしかに二人のクラブセットを見ると、そもそもゴルフバッグに14本もクラブが入っていない。というかセット構成自体何も考えていない。

しかし、いずれもまるで使い倒した包丁のように、しっくりと手に馴染んでいる。飛距離もほぼ間違いない(よくツルツルのグリップで打てるもんだ、それも雨の中)。

 

そして、がっかりした果てに学んだこと。つまり「道具は使い込んで活きる」という真実。

 

ゴルフギア道楽なんて、完敗したスコアを出した相手にはひれ伏すしかない。

 

と、悔しさまじりに妻に話すと慰めの言葉。

「それって、結婚相手と一緒でしょう。一生懸命考えて選んで買ったのだから、信じて使い続けてみれば」。まさにそのとおり。

 

さてと、この手痛い敗戦をきっかけに、この際ゴルフギア道楽(浮気性)も卒業して、生涯の伴侶として、今のローグST NAXセットと、エイジシュートを達成するまで生きていこうと。

 

“ ゴルフギア 使い込んで その価値を知り ”

 

 

 

 

パター ピン型かマレット型か

イクラブセッティングがだいたい決まった。

 

まあ、人からすれば、どうでもいい話だろうけれど。

そもそも、これからエイジシュートを達成するために、一から組み直したセッティング(死ぬまで使う予定で)。あとは、使い込むだけ。

 

しかし、いったいどれだけ散財したやら。結果としてゴルフギア道楽を突き進み、ゴルフ雑誌や、ゴルフギアサイトの餌食になってしまった。反省反省。

 

いや、骨董趣味もそうだけれど、ゴルフギア道楽は沼ったら危険。

と、更生したのだが、最後の最後にパターが決められない。

 

一本は、ホワイトホットOG と もう一本は、二十年前に買った。キャロウェイ純正パターであるTT2

 

ホワイトホットは、そもそもこのTT2が入らなくて買ったパターだけれど、結果として、オデッセイ地獄の入り口に入ってしまった。ホワイトホットスティール、等々。

そして、ついにはOGと。

 

しかし、パターが得意だったはずが、まさかの苦手クラブに。

そして、結局ずっと倉庫にしまってあった、TT2を出して打ってみたら、感触がいい。

 

素材は今はやりのミルドはミルドだけど、なんとチタンの削り出し。今時そんな削り出しパターなどこの世から追放されている。スコッティキャメロンもきっと見向きもしないぐらい打音もよくない。

 

けれど、見た目がカッコがいい。それにつきる。ホワイトホットOGも格好がいいけれど、それは入るパターという前提の中。

 

そして、マレットはサブバックで持ち歩くと他のクラブの出し入れに邪魔になるのが難点。しゅっとしたピン型は収まりがいい。

 

二本を使い分ければいいじゃないと言われるかもしれないけれど、ゴルフ予算が少ない今。TT2にしたら、そこそこの値段で買い取ってくれるOGを売りたい。

そして、心中する気持ちで一本に絞りたい。

 

というわけで、パターマットを使って、勝手に「パターチャレンジ」と銘打って、毎日それぞれ10球打って、一ヶ月後に最小パット数の方を選択することにした。

 

どうでもいいじゃんと言われればそれまでだけど、パター選択をここで間違えると、エイジシューターも永遠に夢になりそうなので、ここは真剣に。

 

さてと、どちらが選ばれるやら。

それにしても、キャロウェイのTTシリーズのパター使っている人、今まで一度も会ったことがないので、かなり少し不安(噂では、この失敗でキャロウェイ本体でのパター製作から手を引いたという噂も)

 

“ カッコよく パターぐらいは 決めてみたい ”

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

史上最悪のゴルファーは現れず・・・だが107

先回書いた、史上最悪のゴルファーとともにコースへ。

本当に快晴で、まさにゴルフ日和。

一緒に行った同伴者も、ゴルフ場までの快適なドライブが続きハイテンション。

 

この助手席に座る史上最悪のゴルファー、まだまだ初心者に毛が生えたレベルなのだが、まさにコースに出ても、練習場と同じく、怒り、叫び、泣きわめく。

スタート直後ティーショットをチョロしたとたん、いきなりスイッチが入る(というか出現する)。

「もう嫌だ」、「帰っていい?」、「ゴルフ向いてない」等々。顔を真っ赤にして、まるでミスさせたのが、私のせいかのようににらみつけてくる。

 

それは、数年前のコース初デビューの日だった。二ホール目で、アプローチが飛びすぎて、グリーンを飛び越えて対岸のバンカーへ。

 

ついに、手にしたクラブで地面をたたき、遠方に投げ捨てる。

それを見たとたん、いかに温厚な私でもたしなめるしかなかった。

「君はたぶん、今日日本で回っているゴルファーの中で、一番最悪どころか、史上最悪のゴルファー」だと。

 

さすがに反省したのか、その後は借りてきた猫のようになってしまった。口にするのは、「昼ご飯何を食べよう」、「それしか楽しみがない」、別の意味でブツブツと。

 

そんなわけで、その知り合いは、その日から私の中で「史上最悪のゴルファー」と名付けられた。

 

そして、この日、半年ぶりに、一緒にコースを回ったのだが、ミスしていつあの史上最悪のゴルファーが現れるかとヒヤヒヤしていたが、なぜかゴルフをやっていないときの、朗らかで陽気でナイスキャラのまま。

スタート直後で二桁叩いても、怒らず、八つ当たりせず、殊勝な顔をしてひとり反省している。

 

「どうしたの?」逆に心配になってきたわたしが訊ねると、

「ゴルフって、自分との闘いってわかったんだ」と、どこか悟ったような返答。

 

「感情が出るということは、自分と折り合いがついてない証拠。それは、つまり自分をわかっていなかったから。ゴルフの上達はまずは、自分を知ることだった」と説明してくれた。

わたしは、「なるほど」と言いながら、とにかく自分のプレイに集中したかったので、適当に相づちを打っていた。でも、その通りだった。

 

ゴルフって不思議なもので、この史上最悪のゴルファーは別格として、ゴルフが上達してくると、どんな人も、感情の制御も上手くなっていく。

いつまでもミスショットして、いちいち、「くそ」とか、「ちぃ」とか、悪態をついている人は、あまり上手くならない気がする。

 

というわけで、無事何とかホールアウトできたが、スコアは107。前半57、後半50。

 

これでは、エイジシューターを達成するには、107歳まで生きなくてはならないのだが、収穫はあった。

チッパーが大活躍した。わずか三回しか使わなかったが、いずれもベタピン。

 

「邪道だ」と言っていた同伴者も、これにはびっくりして、欲しそうな顔になっていた。

そして、後半50で回れたのは、何よりもあの「史上最悪のゴルファー」が現れなかったことに尽きる。

お願いだから、もう、二度と現れてこないでくれ・・・。

 

“ いいショット 打てた後に 風薫り ”

 

 

 

 

練習は上手い人と行きたい

最近、休日になると練習場へ。

朝6時なのに、すでに1階打席は満員。

 

「みんな、どんなけ練習好きやねん」と大阪弁で言いたくなるほど。

でも、わかります。五月の中旬、練習するにはぴったりの季節。

 

こんな素晴らしい季節。本当は、毎日コースに出たいのだけれど、そうも言っていられずに、自分もその好きやねんの仲間入りへ。

 

いざ打ち出したのだが、一緒に行った練習仲間が調子が悪く。一打打つごとに「当たらない」、「下手になった」、「もう嫌だ」と、後ろから呪いのような言葉が聞こえてくる。

だんだんこちらも気になって、ちらちら見ているうちにこちらの調子も悪くなっていく(アドバイスは嫌いなのでしない)。

 

スイング改造中なのはわかるけれど、だから練習場にいるわけで、「そこはぐっと堪えて黙って打ち続けなさい」と、喉元まで言葉が出てくるが、関係が悪くなるので、黙っている。

 

ゴルフに限らず、勉強も、何のスポーツも一緒かと思うけれど、自分より上手い人と練習すると、引っ張られて上手くなると言うが、まさに本当のことだと思う。

 

関係ないけれど、自分より品がある人と付き合うと、きっと己の品性も上がるかもしれない。

 

先に来ている人たち、みんな100球どころか、200球も打っている。自分は後から来て、下手なくせに練習嫌いなのか、わずか100球で飽きてくる。

 

ここなんだと思う。受験勉強もきっと、この100球の差だったのだと。

まあ、今日に限っても、練習仲間のせいもあったんだけどね。

明日は一人で行こうっと。

 

“ 友だから ゴルフも楽しきとは 限らない ”