いつかはエイジシューターになる

三文文士がエイジシュートを目指すブログです。

正解のゴルフスイング

 結局レッスンを受けるお金がないので、自己流で頑張ることにした。YouTubeで相変わらず適当な動画を見ている。
 

 本当に花盛りで、いろんなレッスン動画あって、自分だけではなく同じような境遇の多くの人がどれが一番動画なのか混乱していると思う。
 

 いろいろ模索して、片山晋呉のレッスン動画を中心に据えて、青木翔さんで補填するといった形に落ち着いた。
 

 ともにトップで右足かかとに重心を置き、ダウンスイングで左足つま先に重心を動かしていくといったスイングの形だ。トップでは懐を大きくして、頭は動かさずに、上下動でスイングして、尾てい骨を中心に腰を回す。
 

 言葉で言うのも難しいが、やってみると案外難しいことがわかる。未だマスターできていない。ただ、この打ち方をしていると、二度ほど綺麗なスイングだと言われた。
 しかし、飛ばない、飛距離が伸びない。

 再三このブログで嘆いているが、いくら綺麗でも飛ばないと意味がない。
 

 そして、再三考えてみた。ついに認めたくなかったが、自分には運動神経というよりも、どうやらリズム感が足りないことがわかった。とにかくリズム感がない。そういえば、小学生のときに通知表でリズム感がないと書かれていたのを思い出した。
 

 リズム感とスイングは一見するとまったく関係ない気がするが、つまりは再現性を意味していると最近知った。
 

 ダンスがうまいひとというのは、何回難しい動きをしても同じ動きができる。体勢を崩しても動きは崩さない。つまり再現性が高いからうまいのだ。
 一回できたとしても、続けてやっているうちにずれてしまってはダンスは成り立たない。
 

 ゴルフスイングも同じで、毎回違うトップやダウンスイングでは、ボールは安定しない。その肝はじつは、リズム感だとわかってきた。
 

 かのイチローが、自分はリズム感がないと言っていた。ないからこそ、毎回打席に入るときに、同じルーティンを行う。振り子打法もつまりは、リズム感の欠如を補填するためだったという。
 

 しかし、問題はリズム感というのは、後天的に得ることがほぼ不可能なこと。歌がうまいのと同じである。
 

 そうなると、絶望的な気持ちになる。どこかにリズム感というアイテムが安く売っていないかなと思ってしまう。
  
  〝 リズム感 いくらあっても 困らない 〝

 

 

 

 

 

花粉症とゴルフ

 3月ともなると、心地よい陽気に誘われて身体がむずむずして、コースに出たくなる。
 
 それは、あくまで室内で思いを馳せている場合。一歩外に出ると、たちまち鼻がむずむず、目がかゆくなり、息すら苦しくなる。

 そう花粉症なのだ。
 

 この花粉症。医者から処方された薬を飲めば、ある程度抑えることができるが、代わりに強烈な眠気とだるさに襲われる。
 

 毎年、この薬の強烈な副作用と、花粉症の症状のどちらかを選ぶかの選択になるが、一歩間違うと大変なことになる。
 

 だからこの季節、コースに出るとなると、必然的に薬を飲まざるを得ない。
しかし、不思議なことに、車の中ではかなり眠くなっても、コースに着くとぱちっと目が覚めてくる。

 全身に血が巡り、頭がしゃっきする。わくわくする。
 

 しかし、どこかおかしい。反比例するように花粉症の症状が現れてくる。薬飲んでいるのに関わらず。

 どうしてだろう?とかかりつけの医者から聞いたら、

「花粉症の症状を和らげる薬というのは、悪く言えば脳の働きを鈍くさせる働きをする」のだという。

 だから薬を飲むとぼんやりして眠くなってくる。つまり強制的に感度をレベルダウンさせているらしい。
 

 しかし、ゴルフ場に向かう途中、気持ちがわくわくしてアドレナリンを出して、脳が活性化して覚醒してしまうと、薬が効かなくなるのも当然と言われた(だが、この話は半分ぐらいしか信じていない)。
 

 しかし、いざコースに出て、まったくわくわくしないゴルフなどあり得ないから、結局のところ、薬を飲んでも飲まなくても、花粉症と一緒に回ることになる。
 

 花粉症ではない同伴者からは、くしゃみばかりしている自分に対して同情されはするものの、それも最初のうちで、気心がしれた仲間ほど、途中からくしゃみや鼻をすすってばかりいると、「うるさいよ」、「なんだかうつりそう」とまで言われる。
 

 しかし、どの物事でもそうだが、花粉症にもメリットがある。不思議ことに、くしゃみが出る前に早く打とうすするのか、余計な素振りやスタンス決めなどやらないのがいいのか、いつもよりナイスショットが連発する。
 

 いったい、ゴルフとは何だ?。まったくもってスイングというのはよくわからなくなっていく・・・。
 

 ようやくホールアウトして、シャワーで全身についた花粉を取り除いて、薬を再度飲むと、不思議なぐらい、今度は行きのレベルとは比較にならないような眠気とだるさが襲ってくる。
 

 結局、ゴルフの日は、どうせ花粉症の症状に見舞われるならと、薬は一切飲まないで行く。それが、最近花粉症とゴルフについて、出した答えである。お試しはご自身の判断で・・・。

   

 “ 花粉症 ボールの行き先 鼻水たれ ”

 

なぜ、キャロウェイ好きか

 自分のゴルフ道具や小物はすべてキャロウェイで統一されている。

 というか、キャロウェイと銘が入っているのは、ウェアだろうが、キャップだろうが、マーカーだろうが全部好きだ。

 

 普段はブランドのロゴなど大嫌いで、入っているのを喜んで着るのは、どこか「ださい」と思っているのに、ことゴルフに関しては違っている。なぜか、嬉々として着ている。
 

 それは、中日の試合を観に行くのに、中日のユニホームを着て(自分は着たことないけれど)応援に行く気持ちにどこか似ているのかもしれない。
 

 そもそも、自分が好きになったのは、ゴルフを始めた頃に、ERCという変わった名前のドライバーが流行ったのがきっかけだった。
 

 それまでは、ゴルフショップに並んでいるのは、本間やオノフ、それにミズノやブリジストンといった国内メーカーばかりだった。
 

 そこにある突然、在りし日の黒船来航のように、とんでもなく飛ぶクラブという触れ込みでいきなり乗り込んできた。

 事実、うちの父親を始め、多くの飛び自慢の強者が、より遠くの飛距離を求めてのりり換えていった。
 

 そして、このクラブ、いつ偽りもなく飛んだ。本当によく飛んだ。それまでのクラブの+30ヤードは飛んでいたと思う。

 反発係数の規制が入る前のことである。
 

 そして、その甲高い金属音のような音に驚いた。

 そして、そのメーカー名を聞くと、キャロウェイという新鋭の聞き慣れないブランドだった。
 

 キャロウェイ?最初は、昼間の通販番組でやっているような、飛ぶ、簡単だけを売りにするぱったもンのようなクラブメーカーかと思ったが、たまたま読んだゴルフ雑誌の特集で、キャロウェイの創始者のロングインタビューがあり、それを読んでたちまち、虜になった。 

 簡単に言ってしまえば、ゴルフを愛するすべてのゴルファーのために、最善で美しいクラブを作る。その思想に共感したのである。
 

 それから、アイアンセットやゴルフバッグなどのゴルフ用品も手がけるようになっていき、そのおしゃれさにさにも魅了されていった。
 

 そして、このキャロウェイのマークが最初から妙に気に入っていた。
 それから、かれこれ三十年近くたった。その間に、ドライバーはC4という、ヘッドが四角いドライバー(アニカ・ソレンタムが使っていた)や、不思議な形をしたアイアン、六角形のテンプルのゴルフボールなどを次々に発売し、挑戦的で画期的な商品を出してきた。

 その都度、その突飛な発想だけでも充分楽しませてくれた。
 

 おまけに当時は独身で、給料のお金全部を自由に使えた自分は、ミーハー気分で、スコアよりも興味本位で買い換えていった。Xシリーズや、ビッグバーサシリーズ等々。
 

 だから、過去のグレイトビッグバーサシリーズやエピックなどの大ヒットシリーズだけではなく、とんでもない失敗作を含めて、ほとんど知っている。単純にキャロウェイのファンで追っかけなのだ。
 

 近年は石川遼プロが、キャロウェイと契約するなどメジャーとなり、弱小クラブメーカーだった頃から知っていた自分は、ついにここまで来たかと感無量になったものだ。
 

 もちろん、ゴルフのスコアやスイングも気になるが、こうした一つのメーカーのファンとして、長い時間をともにすると、一つの作家の作品をリアルタイムで読んできたような感慨に襲われる。
 

 そして、今はただのお金がない三文文士に過ぎない、到底定価では買うことができない。高価なゴルフウエアーなのどは雲の上の世界の代物。
 

 アウトレットで買うにしても、さらにはバーゲンを待って買うしかないけれど、未だ他のブランドには一切浮気しないで、キャロウェイ一途である。

 まるで、キャロウェイの回し者のようだが、長年のファンとして、これからも挑戦的で、ゴルファーの側にたった、刺激的な商品を作り続けて欲しいと思う。

   

 〝 ブランド物 馬鹿にしながらも 買いあさり 〟

 



ブログ名を変えました(4月13日追記あり)

 ブログ名を再び変えました。

これまでの、「エイジシューターになる」本人としては意気込み含めて、とってもいいブログ名だと思っていたんだけど・・・。

 しかし、最近グリップの握りを変えたせいなのか、まったく球が当たらなくなってしまった。頭の中がごちゃごちゃ。

 こんなことでは、いったい何歳まで生きたらエイジシューターになれるやらと、かなりがっかり。

 やっぱり、ヘタレゴルファーは変な夢を見ていけないと自覚。

そもそも、大きな声では言えないけれど、ただの酔いどれゴルファー。

 自然の中で、それもきれいに整えられた公園のような場所で、芝生の上を気ままに歩き回り、時には地平線にめがけてドライバーをぶん回し、時にはひたすら砂場遊び。

 とにかく、楽しければいいのが一番だったというのにようやく気づいた。

 エイジシューターという目標は、クラブチャンピオン、シングルになるのは少し目標が高すぎる、自分のようなヘタレゴルファーにはいい目標だと思っていた。

 しかし、それも実現が可能ならのお話。

 いつのまにか、スコア向上にしばられていて、自分を苦しくさせていた。練習が楽しくなくなっていた。コースでもイチローばりのアスリート気取りだった。冬山登山に挑むような気持ちでコースに向かっていた。

 考えてみれば、別にプロになるわけでも、生活がかかっているわけでもなく。ただの気晴らし(本気の人にはごめんなさい)でやり始めたのに。

 

 飛ばなくてもいいじゃない。スコアが伸びなくてもいいじゃない。シングルになれなくてもいいじゃない。飲みながらでもいいじゃない。

 とにかく、いろんなところで、いろんな人と、時にはひとりぼっちで、知らないゴルフ場や、世界中のゴルフ場を回れたら、そのときだれかとひととき楽しめれば、それが自分にゴルフに対して求めることだとわかった。

 もう競争も勝ち負けも成果も、リアル人生だけで充分だ。

 

 もちろん、ゴルフもきちんとしたルールがある世界。

 人(同伴者)に迷惑をかけずにプレイしなくてはいけない。ただ、もっと自由に、のびのびと自然を楽しみながら、ゴルフというものをやってもいいんじゃないかと思った。高い山に挑む登山でばなく、散歩やハイキングするように。

 

 結果として、エイジシュートを達成できたらうれしいし、シングルになれたらうれしい。

 でも、苦行のように自分を追い込むのは、小説だけで結構だと思った。

 

 これを変節したと言われればそのとおり。もし、こんなヘタレゴルファーがエイジシューターになれるのを応援してくれて読んでくれていた人がいたら、本当にごめんなさい。

 

 やはり、こういう意味で、ヘタレゴルファーどころか人生もへたれでした。

 しかし、ゴルフに関する文章を書くのは好きなので、徒然になるままに書いていきたいと思います(今のところ)。

 再び変節したらさらにすみません。

 

 “ スイングも 目標も変節 ゴルフかな ”

 

 

2025年4月13日追記

いろんな人から言われて、心変わり変節して、元に戻しました。すみません

 

文士のゴルフ

    敬愛している小林秀雄は、じつは大のゴルフ好きだったという。
 

 朝起きるとまずは、新聞五紙を読み終え、庭にあったゴルフゲージ(昔はよくお金持ちの家にあった)で、200球前後打つことを日課にしていたという。
 

 それぐらい、ゴルフに夢中になっていたらしい。ただし、競技ゴルフの方には興味を示さず、ただ、文士仲間とガヤガヤやる、今で言うエンジョイゴルフが主だったらしい。
 

 残っている、スイング中の写真(バックスイング時)を見ると、さながらベンホーガン並のきれいなフォームをしている。

 もっと小林秀雄とゴルフについて知りたくて、いろいろ文献をあさってみたが、小林秀雄のハンディキャップとか、平均スコアなどまったく残っていないので推測するしかないが、かなり上手だったとは思う。
 

 ただし、エンジョイゴルフとはいえ、一緒に回るのが一癖二癖もある文士たち。

 彼らは当然ながら言葉が達者なので、それこそ誰かがミスをしたり、逆にいいショットをされたりすると、いい機会を見つけたとばかり、思いつくままに毀誉褒貶、罵詈雑言。悪口や、褒め殺しの応酬。

 ついていたキャディが、いまに殴り合いの大げんかが始まると思ってヒヤヒヤしていたという。
 

 おそらく、文士ゴルフというのは、もちろんゴルフそのものの楽しさもあるが、こうやって心置きなく、思いついた言葉を好きなだけ発せられるのが楽しかったのだ気がする。
 同時に、かつてその昔、文壇ゴルフというのがあって、出版社主催のコンペとかがあると、プライベートのエンジョイゴルフとはうって違って、静まりかえり、しんとした雰囲気の中に、密やかな殺意すら漂っていたという。
 

 ただの三文文士の自分は、未だ小説を書く人とゴルフをしたことがないので、これも聞いた話しでしかないが、しずかな殺意が漂うというのは何となく想像がつく。もともと文士とは言葉を使って殺し合いをする生き物だから。
 

 かつて、石原慎太郎が、文壇のゴルフのコンペで、「いかにも、そのイメージからゴルフをやってはいけないような物書きが参加しているが、商売的にいかがなもんか」と苦言を呈してることを、何かの記事で読んだことがあるが、なんとなく権威や権力に刃向かう小説家というのは、もともとゴルフとは真逆なイメージがあるのは否めない。とく破滅型の私小説作家だと。
 

 もし、最近芥川賞を受賞された安堂ホセさん(おめでとうございます。)とかが、もしゴルフを毎日やっていると聞いたら、やっぱりイメージが違うなあって思ってしまうだろう。

 この印象の理由や、イメージについて、ゴルフに限らず、文学とスポーツの関係というものは、もっと深掘りしてみたいと思っている。
  
 〝 文学で ゴルフを語る 難しさ 〟

結局 私のような、貧乏キャロウェイマニア御用達のゴルフボール。イエローを愛している。

「レッスン」を受けるか否か

 一応、少し暖かくなる三月までは、室内で素振り中心の練習にしようと思っていたが、ふいに朝起きたら、激しいストレスもあって、たまらなく打ちっぱなしに行きたくなって(時々こういうことがある)車を走らせた。
 

 気温は氷点下。練習場もまったく人気もなくまばら。確かにやっている方の人の方がどうかしている。
 

 毎日、三十分素振りをやっていたせいか、球は良く当たる。過去一番と言っていいほど。
 

 しかし、寒さも忘れていい気分のまま、アイアンからユーティリティ、ウッドと移っていき、最後にドライバーの番となった。

 結局、今回のドライバーの遍歴も、とにかく遠くに飛ばしたいというところから始まったものだが、結局今日も、ドライバーの不調は変わらず。というより、「飛ばない」。
 

 5番アイアイアンが、ヘッドスピード40越えあるのに、ドライバーもまったく同じ数値。飛距離もそれほど変わらない。ジャストミートした5番ウッドの方がよっぽど飛ぶほど。
 

 おかしい。これだけ、必死に動画を見てきても、練習しても飛距離が伸びない。
 そして、この日も、マン振りしてなんとかヘッドスピード42まで行って、飛距離220ヤードがいっぱいいっぱい。
 

 正直言って、がっかりした。いったい毎日の素振りはなんだったんだろう。
 YouTubeのゴルフレッスン動画はあらかた見尽くして、その練習法もすべてやってみた感があるので、やはりついに禁断の個人レッスンを受講すべきか。

 というところまで気持ちが追い込まれた。
 

 そんなの、世の中には無料レッスンなどいくらでもあるし、気安く受ければいいじゃないかという話もあるが、小説を書くのと同じで、我流で、もがきながら独学でうまくなるからこそ、面白いと思っているところもあるので、やはり二の足を踏む。
 

 しかし、今回の練習で救いがあるとしたら、鏡に映ったスイングのきれいさは、まあまあ自慢できるレベルにきたと思った。その朝の練習場に来ている人の中では、ダントツに一番だったと思う。まあ老人三人しかいなかったんだけど。

 しかし、いくらきれいなスイングが完成しても、遠くに飛ばないという現実。これいかに・・・。そんなことがあっていいのだろうか。
 
 と、「レッスン」という禁断の扉を開くかどうか、凍り付く練習場の中で決断を迫られた仲村でした。

 〝 飛ばしたい その思いだけは 凍らずに 〟

 

 

真冬の練習はやめたほうがいい?

なんだか、今年の冬は例年より寒い気がする。
というのも、早朝練習に行くと、少し暖かった先週までよかったのに、面白いぐらい球が当たらない。

練習場は寒いとわかっているので、家で念入りに柔軟体操をしストレッチを行ってから行っても、練習場に着く頃には、全身がちがち、身体も凍ったように硬くなっている。

昨年の冬も、練習場にいって行っていたけれど、これほどひどくはなかった。
やればやるほど、からだがさらに堅く凍っていく気がしてしょうがない。老化と言われればそれまでだけど。
さすがに、1月2月の極寒での練習はやめようと思った。
無理してやっても、スイングが悪くなるし、怪我をしかねない。

前から思っているけれど、0度近くの気温の中で練習するのって、ゴルフに限らずそもそも運動するのにふさわしくないかもしれない。絶対、効果よりデメリットの方が大きい。
北国育ちの、生まれながらに寒さに強い人は別なんだろうけど。

その昔、小学生のとき、半年間だけサッカー部に入っていたことがあった。春夏は野球部で、秋と冬は自動的にサッカー部になるという変わった部だった(当時の小学校は割に多かった気がする)
本当は野球だけをやりたかったのに、寒くなる頃から自然にサッカー部になり、寒空のしたひたすら、声出しと、単調なパス練習を繰り返す日々。

そして、試合は出られるわけもなく、線審かボール拾い。
これを寒さの中でずっとやっていて、ほとほとサッカーが嫌いになってしまった

そんなさなかに、ちらりと横を向くと、暖かそう(そう見えた)体育館で楽しそうにバレーボールの練習をやっている姿が目に入った。

たちまち、自分の気持ちが揺らぎだし
次の週には退部届を出して(自動的に野球部も辞めることに)、バレーボール部に入部していた。

と、これで寒空地獄からは解放されたわけだが、いざ入ってみると、バレーボール部はバレーなりに、冬は大変で。別の寒さとの戦い(冬だとひときわレシーブしたボールが痛い)、まさに隣の芝はなんとやらというのを、そのまま体現する結果になってしまった。

と、何が言いたいかと言うと、本当の寒がりは、真冬にスポーツってやらないほうがいいんじゃないってこと。
と、いいつつも金曜日の夜ぐらいに、ゴルフレッスン動画を見ると、
早朝の寒空の下にいそいそと練習に行ってしまうのだけど・・・このお正月も・・・。

室内バーチャル練習場のような器具を自宅に欲しい・・・(願望)。

“ 寒空に 白球飛ばし 息白く ”

 

今年もよろしくお願いします。