ゴルフ史の大家である摂津茂和という名は知っていたけれど、もともとは小説家だったことまでは知らなかった。
調べてみると、小説家になったのが何と40歳過ぎ。
ゴルフのエッセイや、歴史、翻訳などを本格的に手がけたのが55歳になってからというからさらに驚きだ(と言いながら小説家になったのも、ゴルフに関してのエッセイを同人誌のようなものを書いたのがきっかけだったが)。
しかも、そのあと長生きして90歳近くまで生きた。つまり、ゴルフについて語り始めたのが、人生半ば過ぎてからということになる。
敬愛する夏坂健も、「読むゴルフ」と言われた名エッセイを書き始めたのもかなり年を重ねてからだった(50年歳を過ぎて)。
たぶん、ゴルフというスポーツを、娯楽、趣味、いろんな見方や、やり方から捉えて、上手く自分の言葉を使って語れるようになるのは、ある程度人生の年季が必要なのかもしれない。
それは、ゴルフがよく人生になぞらえられることに関係があるような気がする。
自分も若い頃は、ただプレイに夢中でスコアを上げることしか考えていなかった。
〝誰々よりも飛んだとか‘’
‘’先に90を切った‘’
‘’今日はバーディ3つ取ったとか‘’
そんなことばかりを、ゴルフ仲間の間で自慢し合い、競い合い、息巻いていた。
ゴルフというスポーツの真髄なんて考えたこともなかった。
これも誰かが言っていたことだが、
「ゴルフというのがわかるようになるのは、肉体的にピークを越えてから」だと。
身体が硬くなり、筋力が衰え、ドライバーが飛ばなくなる。その代わりに小技がうまくなり、パターの芝目を読めるようになる(これは、急にそうなるらしい)
ゴルフというのは上り坂のときは気づかないことが、下り坂になるとよくわかってくることがたくさんある。
ここは、無理せず刻むか、レイアップしよう。バンカーをよける等々、冒険せずに、手堅いコースマネージメントを選ぶようになる。ただ、ときには若い者には負けんとムキになる(それを自覚する)。
それは、人生の生き方そのまま当てはまる気がする。無謀なことは避けて通るが、どこか若い者には負けまいと張り合う気持ちもある。
そして、ゴルフというスポーツの素晴らしさは、そうした下り坂のプレイヤーをもやさしく受け止めてくれることだろう。
五感というのは、色、音、香りを含めて、肉体の衰えとは逆に、若者の5倍は繊細に、敏感になっていくという。
だから、短歌の名句はお年寄りが作った方が圧倒的に多い。
本当は、昔手元にあった、摂津茂和の本(不滅のゴルフ名言集1~3)を紹介しようと思ったけれど、残念ながら自分の書棚も、古本屋でも見つけられなかった。なくした?
摂津さん自身が、ゴルフに関する古書をとても大切にする有名コレクターだったというのに、すみません。
自分の、エイジシュートになるというブログサイトを始めたのも、肉体が衰えてきて、ようやくゴルフというものがわかってきたこともあるが、何となくゴルフを語ってもいいような年齢になった気がしたこともある。
エイジシュートを達成できるか、はたまた先に死んでしまうのか、おそらく後者の確率の方が高いけれど、夏坂健さんや、摂津茂和さん、それに小説家では丹羽文雄さん、ジョゼフコンラッドのような、ゴルフを文章で楽しめるようなものを書けるようになれた方が、エイジシュートを達成するよりも、よっぽどうれしいことかもしれない。
〝 先人の ゴルフ話を 聞きたくて 〟