現在、ハンディキャップ30の私ですが、どんな身内のエンジョイゴルフであっても、どれだけ惨憺たるスコアでも、メンバーであるクラブにスコアを提出してきた。当然、ハンディキャップが上がることもあれば、下がることもある。
かつて、自分が小さい頃(数十年前)、ハンディキャップは上がることがあっても決して下がらなかったらしい(日本だけ?)。
それが、変動制になったとき、固定為替制から変動為替制に変わった以上に、世の中のゴルファーにはセンセーショナルを巻き起こしたらしい。
シングルプレイヤー達に動揺が走り、そんなの許せないとか、今までの努力が無駄になるとか、いろんな議論が起こった。
結局、
「だったら、いい成績のとき出せばいいだけだ」と、父親が言っていたのが今でも記憶に残っている。ただ、そんなのずるいと幼心に思った。
それから、父親が死んで、クラブの会員権を譲り受けたとき、ハンディキャップの申請のため、過去のゴルフでのスコアカードをいい悪いに関わらず時系列順に並べて全部提出した。正確に判定して欲しいと思ったからだ。たぶん、100枚以上あったと思う。
それで、認定されたハンディが32であった。あれから十数年、素直にスコアカードを出し続けた結果、ハンディは32から2しか上がっていない。
てっきり、世のゴルファーは全員こんなもので、全部正直に提出しているかとずっと思っていたが、ある日それが珍しいことだと知ってとても驚いた。父親の対処が正解だったのだ。それではハンディの意味がないじゃないと言うと、相手は理解できないといった表情を浮かべるばかり。
道理でおかしいと思った。周りの友人たちは年々ハンディが上がっていき、下がったなんて話を聞いたことがなかったからだ。
それどころか、私が過去のスコアの全部出していることについてたいそう笑われた。それじゃあ、上がりっこない、そんなんではシングルなんて夢の夢だと。
しかし、いくら周りから笑われてもスコアカードは正直に出し続けている。
やっぱりハンディキャップって、ゴルフをやる上でいとても大切な指標だと思う。ゴルフ界でのその人の実力を計る上でも、自分で自分の実力を知るためにも。
いい成績だけの出して手にしたハンディキャップなど、自分にとっては意味はない。もちろん、月例や競技上で得た成績だけではないので、中には多少甘めの申告(オッケーパー、プレイング4使用、飲酒しながらプレイあり)が混じっているのは確かだけど、それでもその日に刻まれた数字は大切にしたい。
もちろん、スコア至上主義ではないけれど、その日のプレーに全力を尽くすことで、ハンディキャップの上下を噛みしめることで、長期的に見れば上達への早道のような気がする。
それに、形だけでシングルになっても、それはただの見栄に過ぎない。それでは自慢にもならないし、どこかで自分の実力を過信してしまいそうになる気がする。
だから、自分の周りでハンディキャップの話が出ると、とりあえず正直に全部出せば・・・その方がうまくなるよと必死に主張している(本当かどうかはわからないけど)。
ハンディ30の奴が言うなという声が聞こえてくるが、イギリスやアメリカの名門ゴルフクラブのメンバーは、だいたい同じような考え方をしている聞いて、今はと胸を張って言える。
だからこそ、彼らは自分より高いハンディを持っている人を称え、尊敬し、それを踏まえての競技で優勝するから偉いということにする。ハンディの意味こそ、ゴルフの神髄であり素晴らしさがあると思う。
だから、これからも「ぜひハンディキャップは正直に」と穏やかに主張していきたい(決して、無理強いはしません)。
と、言っても、本当にひどい時、スコアカードを出す手が震えることがあるけれど・・・。
ではまた
“日傘見て まだまだ行けるぞ 夏ゴルフ“